まゆと江川邸

静岡県伊豆の国市韮山にある歴史の観光スポット江川邸の新人ガイドのブログです

江川邸に初めて行くみなさんへ(2022.4.26追加)


 


江川邸ってなに?

世界遺産になった韮山反射炉を作り、幕末を生きた江川太郎左衛門の生家です。

f:id:mayu_egawatei:20220130113940j:image

実はすごいのは韮山反射炉を作っただけではありません。

どんな生涯を送ったのか知ることができる歴史の観光スポットです。

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

こちらは重要文化財が7万点以上所蔵されてあり、この主屋の建物、蔵も重要文化財になっています。

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

またこの江川邸は大河ドラマ西郷どん篤姫大沢たかおさんのJINのロケ地にも使われるほど、江戸時代の雰囲気を今でも感じることができるので、歴史に興味がなくても楽しめる場所となっています。

f:id:mayu_egawatei:20220130115604j:image

行き方

最寄り駅は伊豆箱根鉄道韮山駅

特急踊り子号は停車しません。

韮山駅から徒歩30分。

他情報では20分とも記載されていますが、土地勘がない方は30分と見たほうが良いです。

また、江川邸まではいくつかのルートがありますが、以下の動画のルートが一番オススメです。

 


www.youtube.com

 

Google

goo.gl

料金

料金 (子ども料金)

江川邸のみ 650円 (300円)

伊豆の国市民は550円 (200円)

団体割引は20名からで1人550円 (200円)

子ども料金は中学生までです。

江川英龍公を広める会の会員様は無料です。

(詳しくはこちら)

f:id:mayu_egawatei:20220130114443j:image

また反射炉と江川邸がセットの券もあります。

一般、団体 800円 (250円)

韮山反射炉は大人入場料500円(子ども50円)ですので、セット券だと大人は500円お得になります。

世界遺産韮山反射炉のすごさを体感した後、その反射炉を作った江川太郎左衛門はどんな人かを知る為にもぜひ、江川邸にお越し下さい。

すごいのは反射炉を作っただけではありません。

 

開邸時間

f:id:mayu_egawatei:20220130114321j:image

9時から16時半まで (最終入場は16時までにお願いします)

水曜日のみ 9時半から15時まで (最終入場は14時半までお願いします)

定休日は第三水曜日、年末年始 です。

変更になる場合がございますので、お出掛けの際には江川邸ホームページ江川邸facebook江川邸スタッフによるTwitter、にてご確認下さい。

 

無料ガイドをしています!

江川邸のオススメはなんと言ってもガイドです。

f:id:mayu_egawatei:20220130114234j:image

江川邸では歴史の知識がなくても分かるように無料でガイドをしています。

一回につき20分程度を行っていますが、時間がない方などは言って頂ければショートバージョンあります。

このガイドはガイド自身で話す内容を考えているので、ガイドによって説明する部分が違います。

何度も足を運んで頂き、ガイドの聞き比べをして、ぜひみなさんのお気に入りのガイドを見つけて下さい。

ガイドの予約は不要で、毎日行っていますが、混雑具合によってはお待たせする場合があります。

待ち時間を無くす為には江川邸にて予約の電話を(055-940-2200)頂けますと、スムーズにガイドできます。

f:id:mayu_egawatei:20220130114544j:image

それでは、いつかみなさまにお会いできるのを楽しみにしています。

 

余談ですが、私、下田市の隣りにある松崎町にある依田邸でもたまにボランティアガイドをしています

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊豆の国情報へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

 

 

なんでまゆさんは江川邸のガイドになったの?

今回はなぜ私がガイドを始めたのか、個人的なことを書こうと思っています。

振り返ってみると、誰よりも伊豆が好きで、伊豆に助けら恩返ししたい気持ちで、今自分がここにいることを感じます。

2020年3月のお話。

実は私には持病がありました。

(遺伝性の病気なので再発する可能性はありますが、病院を行かなくなってもうじき1年ほど経つのでご心配なく)

散歩をすると、家で寝ているより体調が却って良いことに気付き、散歩を始めました。

まだあれはコロナが日本をさわがす前で、まだマスクをしていない時期でした。

近所ばかりを散歩して飽きてきたので、

「そうだ。今日は電車に乗って韮山駅周辺を散歩してみよう」

f:id:mayu_egawatei:20220615130345j:image

と思いました。

 

どこを歩いたのかは忘れてしまいましたが、「江川邸」の文字が目に入りました。

f:id:mayu_egawatei:20220615125442p:image

「江川邸って小学生の社会科見学のときに行って、すごいつまんなかった記憶があるなぁ。

そうだ、今行ってもやっぱりつまんないか確認しに行ってみよう」

そんなイジワルな気持ちで実は江川邸に行きました。

 

f:id:mayu_egawatei:20220615130625j:image

主屋に入ると混雑していて、実は私はその時ちゃんとガイドを聞いていません。

なんとなく展示物を見ていると、そこには「江川太郎左衛門」の文字が。

江川太郎左衛門ってよく聞くけれど、この人ナニした人なんだろう?」

伊豆の国市に住んでいると勝手に耳に入ってくる江川太郎左衛門

ただ正直、何をした人か知らず、韮山反射炉を作った人とすらも知りませんでした。

f:id:mayu_egawatei:20220615150819p:image

「なんかどうせ、今の伊豆を作ったとか、ものすごいローカルなことをして大したことしていないんだろうなぁ」

注・今は伊豆を作った人物でも、「わぁあああ!すごいっ!」となりますが、当時はまだ歴史の面白さにハマる前なので、素直な気持ちを書きました。

などと考えていると、

「こんにちは」

とお客様が途絶えたのかガイドさんが私に挨拶をしてくれました。

せっかく入場料も払ったし、ここまで来たのだから、このガイドさんに質問してみようと思いました。

f:id:mayu_egawatei:20220615130854p:image

「あ、あのっ、何も知らなくて申し訳ないのですが、この人ってナニした人なんですか?」

「えぇっ…」

一瞬戸惑う表情をしたガイドさん。それもそのはず、

「色々した人だからねぇ…そうねぇ…」

本当に色々した人なので、確かに一言で言うのは難しいなぁと後々になって思うのですが、まだこの頃はそこまで大した人とは思わず。笑

英龍さんのしたことを丁寧に教えてくれたガイドさん。

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

 

当時一番びっくりしたのは、東京お台場に大砲を作ったことでした。

大したことしていないどころか、幕末の日本全体に深く関わった人でした。

ただ学校でも教わったこともなく、例えば新撰組のように学校で教わらなくてもみんな知っているというわけでもなかったので、こんなにすごい人物が有名ではないことににわかに信じられず、何か私を騙そうとしているのではないかとさえ思いました。

f:id:mayu_egawatei:20220615151211j:image

 

「なんでこの人、有名じゃないんですか?」

どうやら戦前の歴史の教科書には載っていたのですが、戦後に削除されてしまい知名度が下がってしまったようです。

これだけスゴいんだから教科書に載って当たり前よねぇと思ったり、

教科書に削除されてしまうとそんなに知名度って落ちてしまうんだ…教科書すごい…などと考えてしまいました。

こんなすごい人が知られていないなんて、もったいない!

f:id:mayu_egawatei:20220615151133p:image

 

私は高校卒業から10年間、東京に住んでいました。

こっちへ戻ってきてから、すっかり伊豆の良さを実感します。

空気は美味しい、ご飯も美味しい、海も山もある、人もいい、富士山が大きい、暖かくて住みやすい…

伊豆に戻ってきてから、環境が自分に合っていたのか持病も徐々にですが回復していきます。

持病のせいで死すらも考えていたほど苦しかった私は、伊豆に助けてもらったという気持ちと、伊豆に恩返ししたい気持ちが生まれます。

f:id:mayu_egawatei:20220615151542p:image

 

私は西伊豆の海が大好きなのですが、いつも人がいません。

「こんな良い場所なのに、いつも誰もいないなんて、なんでだろう?

もしかして、全国の人に知られていないのかな?

もったいない!なんとかして、全国の人に宣伝したいっ!」

f:id:mayu_egawatei:20220615151624p:image

と考えるようになりますが、当時はどうしたらいいか良いアイディアが浮かびません。

そのうちに西伊豆の海どころか、伊豆は良いところがたくさんあるのに、知られていない気がする…伊豆をアピールすることをしたいけれど、どうしたらいいんだ?

もしかしたら、これが私が伊豆に恩返しすることなのかと考えるようになります。

 

f:id:mayu_egawatei:20220615151658p:image

「これだ!」

初めて江川邸に行って私を案内してくれたガイドさんを見て思いました。

私も江川邸のガイドになれば、江川太郎左衛門という伊豆すごい偉人をお客様にアピールして、この人を通して伊豆全体の魅力をアピールできるのではないかと考えました。

f:id:mayu_egawatei:20220615151722p:image

私は江川邸の感動も冷めやらぬうちに、個人的にたまたま懇意していた江川邸の学芸員の方に早速連絡をします。

 

 

 

 

 

 

 

韮山反射炉ってなに?〜なんで作ったの?編



今回は世界遺産にもなっている韮山反射炉

反射炉ってなに?

なんで作ったの?

を解説したいと思います!

 

 

韮山反射炉を作った理由

日本を守れ!

韮山反射炉を作ったのがこのエリアを見ていた代官江川英龍さん。

代官とは今で言う県知事のようなものです。

f:id:mayu_egawatei:20220607073418j:image

 

英龍さんが代官になった歳は幕末になっています。

日本は鎖国をしていますが、その頃から外国の船が日本の周りに現れるようになります。

当時は「外国船打ち払い令」というものがあり、簡単に言うと「外国船を見たら容赦なく攻撃しろ」という法律なので、一切外国船を入れない雰囲気だったのが分かります。

しかし、伊豆の南端の今の下田市でマリナー号事件も起きました。

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

外国の船が日本に現れるようになった理由は当時、捕鯨が盛んだった為に、補給地点として外国は日本を狙っていたようです。

また当時は隣りの中国で、1839年からアヘン戦争が起きます。

f:id:mayu_egawatei:20220607074243j:image

(アヘン戦争のようす)

もしかしたら日本も日本の領地が欲しい外国が武力で攻めてきて、戦争になるかもしれないと危機感を抱きます。

マリナー号事件を経験した英龍さんは下田は外国の船が入っていきやすい場所でもあるし、防衛をもっと強化しないと下田、そして自分が見ているエリアが危ないと思い独学で、大砲など独学で防衛に関することを勉強します。

この防衛のことを当時は海防と呼んでいました。

 

今までの大砲ではダメかもしれない?

今までは青銅製だった

ここで当時の日本の大砲を説明します。

f:id:mayu_egawatei:20220607072855j:image

(青銅製の大砲。字のように青っぽくなっています)

当時は青銅という素材で大砲が作られていました。

青銅とは銅の中に10%鉄が入っています。

しかしこの素材は頑丈ではなく、費用も高く、大砲としては使いものにならなかったそうです。

 

青銅製がなぜ使いものにならなかったのか?

費用もさることながら、頑丈でないことは大きな問題点でした。

ここで大砲の飛ばし方を説明します。

f:id:mayu_egawatei:20220607072805j:image

f:id:mayu_egawatei:20220607072809j:image

このように中の火薬が爆発します。

ちなみにこの臼砲は2キロも飛びます。

江戸時代に既に2キロも飛ぶ台砲があったことに驚きますが、2キロも飛ぶほどの強い威力があったので、物凄い衝撃だったのでは想像できるかと思います。

青銅は頑丈ではないので火薬の爆発の衝撃に耐えられず壊れてしまい、また人が亡くなってしまう事故も多かったそうです。

 

オランダから画期的な書物の輸入

そんな中、オランダからこのように『鉄』を溶かす反射炉の設計図が書いてある本が輸入されます。

f:id:mayu_egawatei:20220607073030j:image

(日本は鎖国をしていますが、オランダとの貿易などの交流は許されていました)

これを入手した日本し衝撃を受けたであろう日本人たちは、全国で最大11基もあった反射炉造りが始まります。

f:id:mayu_egawatei:20220607073110j:image

 

なぜ全国でこんなに反射炉がたくさん造られたのか?

鉄を加工したい

その答えは『鉄』にあります。

先ほどの日本の大砲の素材は青銅と書きました。

実は鉄は青銅より費用が安くて丈夫です。

だったら、鉄で大砲を作ればいいじゃないかと思うかもしれませんが、鉄にはひとつ問題がありました。

f:id:mayu_egawatei:20220607073340j:image

(鉄製の大砲)

1500度の温度が必要です。

ちなみに焚き火は700から800度。

当時の日本で高温を出す技術として、『たたら』がありました。

f:id:mayu_egawatei:20220607073225j:image

たたらは最大でも1400度にかなりません。

つまり、当時の日本にはそんな温度を出す技術がなかった為に鉄で台砲ができなかったわけです。

 

しかしこのオランダから輸入された本には、鉄で大砲を作ることができるかもしれない。

もちろんこの本を手に取った英龍さんも、自分たちの街を守るために、独学で韮山反射炉の建築を決心します。

f:id:mayu_egawatei:20220607073556j:image

 

反射炉を作ることに幕府は許可したの?

ここでよく頂く質問が、

「大砲を作る反射炉なんか作って幕府は許可したの?」

許可しました。

例えば幕府に不満を持った人たちが武力で幕府を襲う危険性もありますが、それより深刻なことが起きてしまいます。

1853年7月にペリーが開国を迫りに来航してしまいます。

f:id:mayu_egawatei:20220607073802j:image

ここで日本としてはいよいよ防衛を強くしないと、外国の植民地など言いなりになってしまうかもしれない。

なので、反射炉の建設の許可が下りやすかったと言われています。

 

韮山反射炉の存在の意味

f:id:mayu_egawatei:20220607074125p:image

反射炉は自分たちの国を守る為に、早急に欲しかったのだと思います。

また、当時の日本では鉄を溶かすことや、1500度という未知の技術に触れたことに驚きと発見があったと思います。

当時は絶対にできなかった『鉄』の加工、製鉄の日本の技術の一番最初の象徴として韮山反射炉があります。

 

またこの江川英龍さんは韮山反射炉を作っただけではなく、みなさんの身近にあるものを作っています。

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

そんな江川英龍さんの魅力を紹介した生家でもある江川邸でご案内させて頂きますので、ぜひお待ちいたしております。

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

 

 

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村 

 

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

棟札(むなふだ)って何?

江川邸の棟札はすごい!

江川邸には棟札があります。

この江川邸の棟札は他の棟札と違うんです!

 

 

棟札って何?

棟札とはその建物を作った日、作った人、作った理由などが書かれています。

形式的なものはないので、棟札によって様々な特徴があります。

 

江川邸の棟札の歴史

江川邸の棟札は江川家の16代英親さんが日蓮上人の弟子になるところから始まります。

f:id:mayu_egawatei:20220510184423j:image

日蓮上人が伊東に流される

日蓮上人は鎌倉時代を生きた人で日蓮宗を開祖(はじめた)しました。

1261年5月12日。

日蓮が39歳のときに、伊豆に流罪となります。

f:id:mayu_egawatei:20220510190602j:image

(日蓮上人が伊豆に流されたときに救出した漁師の屋敷跡に建つの伊東市にある蓮慶寺)

 

日蓮上人が伊東に流された理由

理由は日蓮上人が書いた「立正安国論」をその時の執権、北条時頼に提出したため、その怒りを買い流罪になります。

内容は他の宗教を攻撃した内容になっていました。

f:id:mayu_egawatei:20220510190732j:image

 

ちなみに英親さんの代から江川家は日蓮宗になり、今も続いています。

そこで江川家の棟札と関係があります。

 

日蓮上人から棟札を頂く

この時に英親さんは家を新築し、日蓮宗人から棟札を頂きました。

(今の江川邸は1600年に建てられている為、今の建物はこの当時のものではないです)

f:id:mayu_egawatei:20220510191707j:image

こちらはコピーしたものを載せています。

このコピー、後に大切なキーワードになります。

f:id:mayu_egawatei:20220510191834j:image

 

日蓮上人が「南無妙法蓮華異経」と書かれています。

こちらは「火伏せ(ひふせ)のお札」とも呼ばれていて、火事にならないと言われています。

 

棟札を持っていたおかげで江川邸は火事にならなかった

江戸時代は今よりも火事が多く、江川邸に残っている史料でも何度か火事は起きていますが、棟札のある主屋はふしぎと燃えていません。

江川邸の今の主屋は400年以上経っているので、この建物が残ったのはもしかしたらこのお札のお陰だったかもしれません。

f:id:mayu_egawatei:20220510192730p:image

(棟札が入っていた棟札箱は江川邸の主屋の小屋組造りの天井の高い場所に今でもあり見ることができます)

 

私も、僕も棟札欲しい‼︎…どうしたかと言うと…?

江戸時代は火事に悩まされていた人々が多かったようで、この写しを欲しがる人が多かったようです。

そこで、江川家では版画にしたものを刷って渡すことにしました。

今で言うなら、コピーと言ったところでしょうか。

f:id:mayu_egawatei:20220513202430j:image

(実際に刷った版木)

 

1枚渡すのに100回お題目を唱え、1日7枚までしか渡すことができなかったので、簡単に手に入れることはできなかったのでしょうか?

ただし、お札の1枚1枚に想いを込めていたことを感じます。

 

コピーで効果があるの…?

さて、この今で言うコピーの棟札、コピーで果たして効果があったのでしょうか?

その続きは江川邸でお待ちしております。

 

f:id:mayu_egawatei:20220516054700j:image

 

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

 

 

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊豆の国情報へ
にほんブログ村

 

 

 

 

江川邸の工事は何をしてたの?(2021-2022年)

江川邸、しばらく工事中でご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳ございません。

f:id:mayu_egawatei:20220428164655p:image

屋根の交換(葺き替え)をしていました

今回は主屋の屋根の葺き替え工事をしました。

 

銅板って何?

つまり、銅板、この部分を替えました。

f:id:mayu_egawatei:20220428164938j:image

 

銅板とは文字通り銅でできた素材で、最初はこのような色をしています。

f:id:mayu_egawatei:20220428165154p:image

 

長年によって緑色に変化していきます。

私たちの生活の身近なものだと、10円玉が分かりやすいかと思います。

 

f:id:mayu_egawatei:20220428165310j:image

 

 

もともとは茅葺きだった

江川邸の主屋の屋根は1600年に建てられ、400年以上経過しています。

実は1961年(昭和36年)まで江川邸の屋根は茅葺き(かやぶき)でした。

f:id:mayu_egawatei:20220428170648j:image

こちらは1929年(昭和4年)の江川邸の写真です。

屋根の素材が違うのが分かりますか?

茅って何?

茅とはイネ科の植物の総称で、ススキもその中に入ります。

f:id:mayu_egawatei:20220428171320j:image

この茅は油分があるので耐水性があるということで、昔はよく使われていた素材でした。

f:id:mayu_egawatei:20220428171618j:image

(世界遺産岐阜県白川郷も茅葺きですね)

なんで銅板に変えたの?

しかし、茅葺きは明治に入り、一般の家にも瓦が使うことを認められます。

江川邸も茅葺きから銅板になった理由は、茅葺きのほうが維持が大変だからです。

茅葺きは20年ほどで交換ですが、銅板は50〜60年ほど持ちます。

また、職人不足という問題もあります。

 

思わぬところで、私たちの文化財がなくなってしまうことを痛感します。

 

江川邸の工事が予定より早く終わったのはなぜ?

江川邸の主屋の工事は当初、2022年8月終了予定でしたが、2022年4月29日から工事カバーの取れた姿をみなさんにお披露目することになりました。(一部ではまだ工事が続くので終了ではないです)

屋根の下の木の板

工事が予定より早く終わった理由は、

銅板(緑の屋根)のこような板があり、当初はこの板も取り替える予定でしたが、取り替える必要がなくなりました。

 

f:id:mayu_egawatei:20220428172808j:image

(工事の写真をアップできない為、イメージ画像を

屋根葺き替え事業 銅板撤去作業(3月7日) | 見付天神 屋根修復工事

 様からお借りいたしました。実際の写真は江川邸公式Facebookからご覧になれます)

業者さんは70年は持たせると言っていたので、今後この板も江川邸の歴史をさらに物語るものだと思うと、ドキドキしますね!

これ「昭和36年修復」と書いてあります。

f:id:mayu_egawatei:20220428172634j:image
前回の修復は昭和36年でした。

 

未来へ受け継がれる建物

今回の工事で一部の板は取り替えました。
新しい物にはちゃんと「令和3年」の文字があります。

f:id:mayu_egawatei:20220428173059j:image
次の工事のときに「うわぁー、令和3年だって!」という未来の人たちの声が聞こえてきそうです。

70年後の次の工事には私は生きていないかもしれませんが、建物はあることに壮大なものを感じます。

 

文化財を守ることの大切さ

f:id:mayu_egawatei:20220428173404p:image

以上が江川邸の今回の工事です。

江川邸は国の重要文化財に指定されています。

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

いつまでもこの建物を守っていきたいですね。

 

 

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊豆の国情報へ
にほんブログ村 

 

 

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

 

 

 

伊豆石ってなぁに?

伊豆石ってなぁに?

伊豆石とは名前の通り、伊豆とその周辺で採れる石です。

f:id:mayu_egawatei:20220423140531j:image

 

韮山反射炉でガイドをするようになってから、この石の素晴らしさを知り、まだ知らない人の為に…!と思い、今回はすごい伊豆石のお話です。

 


f:id:mayu_egawatei:20220423114835p:image

伊豆石の特徴

加工しやすい!

その伊豆石の特徴は軽くて、加工しやすいことです。

文字では上手く伝わらないかと思いますので、ぜひ機会があったら伊豆石を触ってみて下さい。

そのときに他の石と一緒に触って比べるとよく分かりますが、伊豆石のほうが軽く、触った感じも刃が入りやすそうな印象をすぐに受けるかと思います。

f:id:mayu_egawatei:20220423115344j:image

耐火性に優れているってどういうこと?

また伊豆石は耐火性にも優れています。

火に弱い石があることに意外と思うかもしれませんが、大理石は900度の温度で形が変形してしまうそうです。

その分、伊豆石は1000度以上の温度にも耐えられます。

 

なんで伊豆辺りでしか採れないの?

今は伊豆半島は本州にしっかりとくっついていますが、

伊豆半島はその昔、今よりはるか南にあり、それが動いて本州にくっつきました。

また、伊豆半島は火山の島でもありました。

つまり本州とは地質がちがいます。

伊豆石は火山灰の成分を多く含んでいるために、柔らかく加工しやすい、そして火山灰というわけで高温の火山から出てきたので、耐火性にも優れています。

伊豆独自の自然だからこそできた伊豆石のすごさに感動してしまいますね‼︎

 

伊豆石はすごい人気だった!

色んなものに使われていた

この伊豆石、軽くて、加工しやすく、耐火性に優れているということで、建築資材として使われます。

今は皇居になっている江戸城

この石室には伊豆石が使われています。

 

 

また下田市のペリーロードは、伊豆石の建物をみることができます。

f:id:mayu_egawatei:20220423114325j:image

(下田市ペリーロード)

 

東京お台場の台砲跡や、玉川上水世界遺産韮山反射炉など、まだまだ書ききれないほど色んな有名な場所に伊豆石が使われていました!

f:id:mayu_egawatei:20220423114419j:image

(東京お台場の台砲跡)

f:id:mayu_egawatei:20220423114748j:image

(東京都玉川上水)

f:id:mayu_egawatei:20220423132708j:image

(伊豆の国市 韮山反射炉)

 

こんなところに石切場

伊豆石が当時、どれだけ人気だったのかその証拠があります!

伊豆半島をブラブラしていると、こんなふうに不自然な岩を見たことがありませんか?

f:id:mayu_egawatei:20220423112647j:image

実はこれ石切場の跡です。

f:id:mayu_egawatei:20220423112741j:image

松崎町の室岩洞は有名な伊豆石の石切場の跡です。

f:id:mayu_egawatei:20220423113531j:image

実は石切場伊豆半島内で大小合わせて約120ヶ所あったそうです。

なんと!民家や神社にも石切場の跡があり、どれだけ当時の人たちが伊豆石を欲しがっていたのか分かりますね。

f:id:mayu_egawatei:20220423113805j:image

(伊豆の国市の湯谷神社。鳥居のすぐ隣りに石切場があります)

もし不自然な岩を見かけたら石切場の可能性が高いですよ!

触ることができるならば、触ってみると伊豆石独特のザラザラした感触で、さらに確認できるかと思います。

 

伊豆に独特な自然(地質)だからこそできた奇跡の石、伊豆石

明治に入ってから鉄道、さらに時代が進み高速船の登場により、残念ながら伊豆石の人気は静かになってしまいました。

しかし、伊豆石の歴史を知ったことにより、石切場を見つけやすくなり伊豆を歩くのが楽しくなるかと思います。

f:id:mayu_egawatei:20220423120441j:image

ぜひ、こんなところにも石切場があったよ!なんて報告がありましたら、コメントを頂けるとうれしいです‼︎

 

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログへ
にほんブログ村

 

 

 にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊豆の国情報へ
にほんブログ村

 

 

 

 

 

依田佐ニ平って誰?

松崎町にある無料で見学できる依田邸に住んでいた依田佐ニ平は松崎町の街の発展に貢献しました。

f:id:mayu_egawatei:20220310085419j:image

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

実はこの佐ニ平は北海道の開拓に貢献した依田勉三の兄です。

f:id:mayu_egawatei:20220310085613j:image

(右が勉三、左が佐ニ平)

 

実際に松崎町に行った方は分かるかと思いますが、松崎町伊豆半島の南端にあり、「遠い」印象があるかと思います。

しかし、こんなに「遠い」松崎ですが、熱い気持ちを持った佐二平想いが、地方とは思えない発展をします。

今回はその依田佐二平について書きます。

 

 

 

開国に強い衝撃を受けた少年時代

佐ニ平は幕末の1846年(弘化3年)に松崎町で生まれます。

6歳で三余塾に通います

 

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

(三余塾の事について書かれています)

 

そこで大変優秀な成績を残します。

そして8歳のときに松崎から近くの下田が開国港として貿易が始まります。

日本は200年ほど鎖国をしていたので、外国人や文化に触れることにとてつもない衝撃を受けた者が多く、佐二平もその中のひとりだったと思います。

21歳で依田家を継ぎます。

f:id:mayu_egawatei:20220310090255p:image

(依田邸)

 

松崎は「三大製糸」と呼ばれる呼ばれる工場を作る

松崎は温暖な気候の為に生糸の材料になるカイコの繭の成育がとても早く、「松崎相場」と呼ばれ関東や東北地方の新繭相場の標準価格になったほど、松崎の繭は注目を集めていました。しかし、松崎周辺に工場はなかった為に他の地方の人に松崎の繭を安く買われてしまいます。

その現状を見た佐二平は松崎に工場を作る決心をします。

まず、妹たちに富岡製糸工場に2年ほど研修をさせ、試験工場を作ります。その後に自分の自宅に松崎製糸場を作ります。

f:id:mayu_egawatei:20220310063551p:image

(松崎製糸場があったころの明治時代の依田邸)

これは富岡、室山に続く松崎は「日本の三大製糸」と呼ばれるようになります。

 

松崎の教育に尽力し、東京大学の卒業生も生む

佐ニ平は教育にも力を入れます。

三余塾を開いた土屋三余の意志を引き継ぐ形で19歳のとき(1864年明治元年)に自宅に大沢塾を開き漢学を教えます。

さらに1872年(明治5年)謹申学舎を開き、そこで英語とフランス語を教えます。

そのときの塾長がなんと、旧会津藩士の西郷頼母で漢学を教えます。

f:id:mayu_egawatei:20220310085831j:image

(西郷頼母)

塾生は6歳からなんと40歳までと幅広く、地元の人が割合を占めていました。

いくつになっても学びたいという松崎の人たちの熱気がそこにはあったのではないでしょうか?

f:id:mayu_egawatei:20220310090213p:image

(依田邸)

 

 

1870年(明治3年)には依田家の土地に作られたのが大沢学舎です。

1873年に佐ニ平は私財を投じ、洋風二階建てに建て替えます。

実はこの建物は今も残っており、道の駅「花の三聖」として見学することができます。

f:id:mayu_egawatei:20220310063052p:image

 

そして1879年(明治12年)豆陽学校を設立。

今の下田高校となっていて、松崎は「遠い」にも関わらず、静岡県内では非常に古い学校となっていることに驚かされます。

この学校の卒業生には文化勲章を受賞した東京帝国大学薬学部長の近藤平三郎や、生物学者東京大学名誉教授の藤井隆などがいます。

本人の努力はもちろんですが、こういった教育の環境があったかと思います。

f:id:mayu_egawatei:20220310090058j:image

(花の三聖にある依田佐ニ平の像)

 

こうして紹介してみましたが、順風満帆に見えますが、生徒が思うように集まらず経営が苦しくなり、頭を下げて銀行にお金を借りるなど実はしています。

しかし、佐二平は家族や仲間たちに教育の大切さを解き「伊豆を中央から遅らせるな」と言ったそうです。

松崎が「遠い」からこそ、遅れてはいけないという気持ちがあったかと思います。

それだけ教育の大切さを感じ、自分だけの目先の利益だけではなく、松崎の大きな未来の為に自身を捧げたと言ってもいいのではないでしょうか?

f:id:mayu_egawatei:20220310091117p:image

(花の三聖)

 

佐ニ平は日本で初めての国会議員

佐ニ平のしたことはこれだけに留まらず、松崎に水力発電所を作ったり、海運会社を作ったり、銀行経営、郵便局も設置します。

松崎の今の街の発展は佐二平のおかげと言っても過言ではないでしょうか?

さらに45歳のとき(1890年・明治23年)に第一回衆院議員に当選、日本で初めての国会議員になります。

f:id:mayu_egawatei:20220310091327j:image

松崎の街をこれだけ発展させた佐二平なら、きっと日本も変えることができるのではないか?という期待で、当選したのだと想像できます。

 

松崎には佐ニ平の歴史が今でも残っています!

松崎は「遠い」。だからこそ、遅れてはいけない。

都市に負けてはいけない街に必ずするのだという佐二平のなみなみならぬ思いを感じます。

ぜひ、みなさんも松崎に実際に出掛けてみて、この街の教育の熱気を感じてみてはいかがでしょうか?

f:id:mayu_egawatei:20220310091713p:image

(那賀川から)

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログへ
にほんブログ村

 

 

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村

 

 

 

 

 

 

 

三嶋暦ってなに?〜そもそも旧暦ってなに?(2022.4.28加筆)

三嶋暦をみなさん、ご存知ですか?

今回は知ると三島がより好きになる、三嶋暦を紹介します。

f:id:mayu_egawatei:20220512201700j:image

 

 

 

 

三嶋暦ってなぁに?

そもそも暦や旧暦ってなぁに?

暦とは旧暦のカレンダーのことです。

旧暦とは月の満ち欠けを示したもので、旧暦だとひと月が29日ほどでした。

旧暦のすごいところ

月の満ち欠けを頼りにしていた理由のひとつに、満月の日はパワーが満ちているので、何か新しいことや頑張りたいときはこの日にするのが良いとされています。

突然スピリチュアルな話になってしまいましたが、満月の日は重力の関係で、地球上のパワーがみなぎっていると科学的にも証明されています。

weathernews.jp

満月になると出産が多くなると言われていたり、(真実かどうかはさておき)オオカミ男も満月の夜に変身するというわけで、満月になるとなんだか地球上のパワーが活発になるのにはなんとなくうなずけます。

(ウミガメの出産も満月のイメージですよね)

逆に満月からどんどん月が欠けて新月になるときはデトックスの時期だそうです。

予定を立てるときは月の状態(旧暦)を確認するのが良いかもしれませんね。

ちなみに私はアプリで旧暦のカレンダーを入れて、これを知ってから意識するようにしました‼︎

旧暦は人間のバイオリズムに合わせたすごく良いカレンダーだったんですね。

 

旧暦の問題点?

旧暦はひと月が29日。

29日×12ヶ月=354日

になるので、普段私たちが使っている太陽暦だと約11日ズレてしまいます。

そのズレを修正する為に、数年に一度、『閏月』を足して1年が13ヶ月にしていたそうです。

24節気で補足

これで解消したように思われますが、昔は今よりも農民が多かった為、旧暦だけでは今が春なのか秋なのか分からず、種まきや収穫の時期が分からなくなってしまいます。

そこで使うのが24節気です。

今でも立春夏至なんて言葉を耳にすることがあると思います。

これはここから来ていました。

24節気は太陽の動きで1年を24等分に分けています。

暦は最初は中国から!

さて、そもそも暦が日本に入ったのは690年ごろ中国から入ったと言われています。

囲碁に勝ったら暦を教えてもらうという約束で、見事日本が勝ちます。

三嶋大社の本殿の上に3つの彫刻があり、その中の一つがこの様子を描いています。

この3つの彫刻の意味は『平和は知恵と勇気で成り立つ』という意味だそうです。

f:id:mayu_egawatei:20211206044513j:image
f:id:mayu_egawatei:20211206044515j:image
f:id:mayu_egawatei:20211206044518j:image
f:id:mayu_egawatei:20211206044520j:image

地域ごとに暦づくりが始まる!

当時の暦は漢字で書かれていてとても難解でした。

暦の領は天皇の権限で、それを書写したのが京暦で、当時は貴族が使っていました。

さらに旧暦の説明のときにも述べたように、閏月の計算など高度な天体技術が必要でした。(文系の私にはさっぱりです…)

当時は各地域の技術者たちがそれぞれの技術力を出して、各地域ごとに暦を発行していました。

そこで三島もオリジナルの暦を作ることにしました。

三嶋暦、大人気!

鎌倉時代に入り、武士や庶民にも分かりやすいようにかな文字で印刷されたのが三嶋暦です。

やがて京暦もかな文字になります。

f:id:mayu_egawatei:20211206045930j:image

こちらがその三嶋暦ですが、文字の美しさ、繊細さに人気が出て、旅のお土産として選ばれたり、江戸時代初期から幕府公式の暦になります。

繊細で美しいものを「みしま」と呼んでいて、そこから来て生まれたものが三島茶碗にあります。

f:id:mayu_egawatei:20211206050535j:image

 

 

三嶋暦を見に行こう!

さて、その三嶋暦を作成していた家がまだ残っています。

それが三嶋大社から近い「三嶋暦師の館」です。

g.co

 

建物もすごかった!

入口にある看板なのですが、なんとまさかの我らが『江川太郎左衛門』の文字が!

ガイドの方の話によると、この江川太郎左衛門は英龍さんのことではなく、息子の英敏さんではないかということです。

 

(???と思った方はこちらをどうぞ)

 

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

 

しかしよく読むと、裾野にあった建物をわざわざ三島に持ってきたことに驚きです。

地元で作ったほうが手間が掛からないのでは?と聞いたところ、

この建物は柱などの材料が高級な物をるだけではなく、何年も材料を乾燥させて作ったなどとても気の遠くなるような手間をかけて出来上がった物だったのです。

だから、地元で作るよりも、運びやすいように一度解体して、三島で組み立てたそうです。

また、このような手間を掛けたおかげで、今よりも昔の建物の方が長持ちするのだとも言っていました。

三嶋暦に触れる前からこの建物の凄さを感じてしまいます。

 

こちらには無料のガイドさんがいますので、知識ゼロでも知ることができるかと思います。

 

美しいものの象徴「みしま」。三島市民がうらやましい。

このお話を聞いて、三島市民がとてもうらやましく感じました。

三島という地名自体が美しいものの象徴だったのですね。

三嶋暦、これもまた大切に守っていかなければならない大事な文化ですね。

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

 

 

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村